苦労して稼ぐ仕事で果たして幸せになれるのか。お金よりも大切なもの。

いきなりなんだけど結構前からハムスターを飼いだした。白くてフワフワしていてなんだかスッゴク落ち着くし、ついつい見とれてしまい、眠りに誘われる今日この頃。そんな平和な世の中を長期労働が怠くさせているのかもしれない。

このくっそ長い労働時間にまとわりついている日本の現状。大手企業がいつしか落ちぶれていく様子を遠くからニュースという形で見つめている。時の流れというものは決して遅い緩やかなカーブを描く様子はない。むしろ素早く時が流れていく。

その襖の先に見えるのが仕事での労働環境。

働くことへの価値観

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以前から気になっていた労働する上での内容。楽な仕事なのに給料が高い。逆に安月給なのにキツい仕事がある。両者の違いはなんだろう。一般的な答えが出てこない。

僕の知識が乏しいからか。いや、きっと答えが決まってないんだろう。本人が辛いと思ったら割りに合わない仕事へと移り変わる。

苦労してとった資格も利用する機会がなければいらんものとなる。今おっしゃっているとおり、自分の持っている資格が上手に活かしきれていない。なら別に時間を掛けてまで取る必要なかったじゃんと改めて隙をみせつつある。

最近守りにばかり気をとらわれていて自分を見失いつつある。仕事の辛さとか、虚しさ、頑張っているのに努力が報われない日々。人より何倍も時間を摂取しているはずなのに薄い結果にぶら下がり落ちる。

仕事はなんのためにするのか。家族を食わせていく為、自分の為?仕事といえど、必ず何処かでつまずくことがある。今はその余韻に浸っていて、ほんのりわずかな余白を残しつつ無言でなに食わぬ顔で一日を終えている。

今より稼ぐってことはなにかを犠牲にしてしまう。

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例えばの話、新しいことをやろう。自分の知らない世界へ飛び込もうとなった場合、時間を割いていくことになる。実論今以上に忙しくなってプライベートの時間も取られ、遊ぶ時間もなくなっていく。

いつしか稼ぎに夢中になり家族との有意義な時間も失われてしまう。

時折見せる子供の笑顔に何度引き寄せられたことか。本当に大切なものを無くしてからでは既に遅い。

本当の目的はもうわかっている。

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一日の労働時間を抑えて生産性を高めること。六時間より1時間の働きで同じ給料が貰えること。勿論無理に決まってるだろって突っ込まれるのはわかっている。

しかしこのくそ長い労働時間を一日のほぼ全てアクセル全開に捧げて子供の世話が出来なかったり、寝る前の姿を見れないのはなんとも切ないことか。

無茶して余力を残してくなら、自由な時間を確保して少しでも子供の側にいれる時間を作りたい。

歴史を変えろとかナンセンスな言葉だが、過去の記憶に戻れないなら未来の為に頑張ろうと思える覚悟が必要だ。

ただ、今は子供とのふれあいを親しむことに淡々と喜びを感じているのです。食事をあげたり、時にはスプーンを握ってくれず食べムラができ、おもちゃに夢中になっている最中。喋りかけて通じないとわかっていながらも必死こいて仕事より一生懸命になる父親としての活動。

誰にも語れない幸せは自分の記憶だけに忍ばせておいて一種のメモリーとして保存させておきたい。

失敗あり、笑いありでプラマイゼロになりながらも平凡にトントン表紙でうまくいくと、自然に涙が込み上げてくる。仕事中なんてお金の為に必死だから常に感情を伏せているし、例えミスしても落ち込むでおわり。

苦労して達成したということもなく嫌々ながら希望が見つけられなくて、だったら海で泳ぎながら上向いて優雅な時を過ごす楽なことばかり考えてしまう。

苦労するならなるべく楽したい。

この想いは誰でも同じ。常に対等で平等であるが為に選択肢が多すぎてどれが本当の正解で不正解なのか判断が出来なくなっている。材料が多すぎるのも懸念して。

そんで本来の幸せから遠ざかっていきつつある。

ちょっぴり高めのお駄賃で自由な時間がないなら、多少上げ下げのばらつきが激しいが、時間スペースが空いている方を選びたいなと思う。その方が気分的に楽だし、天井をみればきりがないくらいワクワクする。

お金が無くたって生き甲斐さえあれば人生が楽しくなる。目的を探すより誰かに探させたっていい。質素な生活でも十分幸せになれる気がする。

仕事から逃げたくなるようなハードワーカーに僕は向いていないようだ。

結局幸せってなに?天秤で重さを量るものでなく、本人たちの気持ちが満たされていればいいのではなかろうか。

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