僕のポエム的好きという感情。
すきになること。これはすごく大事なことだと思っています。
好きってことは色んな言動から刈られてそれに乗っかって改めて好きという言葉に変わると思うんです。
もしあなたが苦手だなと少しでも思ってしまった人間には好きではなく「嫌い」になります。嫌々なった関係を修復するのは非常に努力が必要でそれに乗っかることにも辛い訳で。
好きといえば恋愛感情とか、その「物」に対してとか様々です。子供が好きって人はホントに子供が好きだと真っ正面に受け止めていて、嫌いになるという要素を持ち合わせていないと思います。
好きを何かに例える。
世間では子供好き=人柄が良いという風潮があるからです。
こどもの為にというより国策となっていますから必然的に子供が好きだと人からも好感を持ちます。
僕も好きなことはありますかと聞かれたら「ブログ」です。好きである理由にはブログを始めるきっかけになった人、ブログを実際に書いてみての感想。
ブログレパートリーのよさ、ブログで好きなことを書けることへの執着心。まあイロイロなんですがそんな1つ1つのポイントが組合わさって「好き」という感情が生まれると思うんです。
人形が好きだとかも、人形のことをよく知って(あらすじ、プロフィールなど、)愛着も持って初めて「好き」だと言えます。
この世界で好きなことを出来ているかと言われたら自然と「好きなことやってます。」とい言えるかもしれない。
仕事で辛いことがあったり、理不尽にものを言われても圧倒されても、趣味、好きなことがあれば十分充実していると思うんです。
逆思考の人にはそれなりの制裁が下される。
なんでも嫌いっていう人には罰があります。人に嫌われる心を持ってしまう。
だから人に近づいても避けられるのは当たり前のことで自分のした過ちは自分で解決しなくてはなりません。
一度人から失った愛情は元に戻せるものではなくて、「お金」マネーで解決することでもなくて。
愛はお金で買えるのか。
いいえ。
人は買えたとしても「心」は決して買えません。
自分の今ある財産をいくら注ぎ込んでも買えない。人の心のリズムは治すというより、定位置に戻す。鬱症状を治すには薬で治るものではなくて気持ちで治すものだと思っています。
好きだからこそ頑張れる。
そこに好きという感情が少しでもあれば生きる原動力に繋がるし。
僕として好きという感情は絶対欲しい。
感情の価値は人それぞれだけど好きな気持ちがあると次努力しようとか、失敗を恐れないようにしよう、この人の為なら命を預けられる。
信用できる。この人の為に仕事を頑張ろうとか。
好きという気持ちがあればなんだって出来る。不可能なことを可能にさせるお薬。それが好きという感情。
こどもの見る世界と大人のみる世界。きっと違うけど自分の子供には早いところ「好き」の大切さを伝えたい。何があろうと子供にはそんな考えをもって成長してほしい。
そう思い、日頃の仕事にせいをだして必死に頑張ろうと考えてます。
好きな気持ちはきっと相手に伝わる。好きを貫き通して諦めないで物事にもっと執着。尊敬する心。それが好きだと言うことです。
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