~一度は訪れてみたい古都 京都の古寺~
古都・京都には、古くから創建されている寺院や神社があります。中でも、初夏の陽を浴びて輝く青もみじが秋に深まるにつれて紅く色づき境内や山々を染める姿や季節の風が通り抜ける苔の絨毯など古都・京都を彩る芸術風景は日頃の疲れをリフレッシュしてくれます。
◎悲恋の尼寺の素晴らしい苔の庭園「祇王寺」
祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で心を落ち着かせてくれるそんな寺です。また、平家一門の栄華と滅亡を描いた「平家物語」に登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として広く知られています。
祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は山上山下にわたって広い寺域を占めていたのですが、後年は荒配し、今はささかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになったのです。
仏間にある仏壇には、ご本尊である大日如来をはじめ、平清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像があんちされており、祇王・祇女の像は鎌倉末期の作と伝えられており、目が水晶出鎌倉時代の特徴をよく表しています。しかし、作者は不詳となっています。
ところで祇王寺には素晴らしい庭園があり、楓などが植えられている庭の一面に苔が生えていて、雨が降った後は苔に雨水が浸み込み艶っぽい魅力の中にとても幻想的な雰囲気があり、何とも言えない空間となっています。
◎床もみじの岩倉御殿「岩倉実相院」
地下鉄烏丸線国際会館駅から岩倉実相院ゆきで「岩倉実相院」下車したところにあるのが、天台宗の寺門派の単立寺院の岩倉実相院があります。
ご本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造の不動明王立像です。
実相院は古くから岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれている門跡寺院です。門跡寺院とは、その寺院の住職を天皇家の血を引く方が務められる、格式の高い寺院で、代々皇室から大きな支援を受け栄えています。
実相院ですが、もとは京都御所の近くにあったのですが、応仁の乱の戦火から逃れるために岩倉に移り、義周法親王が門跡となった時、京都御所から大宮御所「承秋門院の旧宮殿」の一部が移築されました。その移築された場所が正面の門「四脚門」、玄関横の「御車寄」、中の建物「客殿」となっています。
当時はここで、格式高い家柄の人々が集い、和歌の会や、お茶会などが開かれており、当時の様子が記載された古文書の数々が残っています。
現在もそれらが引継がれ、寺院内から庭を見れば、キレイに吹き上げられた床に新緑のモミジや紅葉したモミジが映る光景は見事で思わず息をのんでしまいます。
◎水の神様を祀る「貴船神社」
叡山電車貴船口駅から京都バスに乗り貴船で下車し歩いて5分くらいの所にあるのが、水の神様を祀る貴船神社があります。
貴船神社の社名ですが、古くは木船、貴布祢とも書かれていたのですが、1871年以降「貴船」と改められ、延喜の制には名神大社となり、二十二社の一つに列せられたのです。
818年以来歴幣祈願が度々あり、祈雨・止雨の神として崇められ祈雨には黒馬、祈晴には白馬または赤馬が献せられるのが例でした。
貴船神社は江戸時代に賀茂別雷社(上賀茂神社)の摂社とされていたのでしたが、明治以後は独立した神社となりました。本殿は1863年(文久3年)に改修され、川に沿って上ると奥の宮があります。
また、境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には舟石といって舟の形に積んだ石里があります。
ところで貴船は蛍石の名所としても有名で、平安時代の女流歌人のひとり和泉式部(いずみのしきぶ)が「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かぞみる」と言う歌を詠んだことから蛍岩と呼ばれるようになりました。
境内を流れる沢は蛍の生息地で、毎年6月下旬頃から7月(梅雨期)にかけて、ゲンジボタルやヘイケホタルが飛びかい、川や境内を照らし、人工のライトアップとは全く違う自然の趣があってとても幻想てきで時を忘れさせてくれますよ。
貴船神社は、縁結びのパワースポットでもあるのです。縁結びを願う人は、「結び文(むすびぶみ)」を結び合わせて祈願すると願いが叶うと言われています。
この縁結びですが、男女間だけでなく、人と人、子授けなどあらゆる縁を結んでくれると言うことで、就職、入学、企業間などいろいろな願を掛けに多くの方が訪れています。
◎美しく苔むした寺「大原三千院」
JR京都駅より、バスに乗って「大原」で下車して10分くらい歩いていくと三千院が見えてきます。
三千院は、延暦7年(788年)に天台宗の開祖である伝教大師(でんぎょうだいし)である最澄が比叡山に延暦寺を創建し、延暦年間(782年~806年)に比叡山東塔南谷野山梨野大木の下に一宇・円融房を構え、自作の薬師如来像を本尊として安置したのが起源と言われています。
三千院の見どころの一つとして、三千院の玄関口である御殿門があります。御殿門は、高い石垣に囲まれ、門跡寺院にふさわしい風格をそなえた政所としての城郭、城門を思わせる構えとなっていますし、自然石を使った石組は頑強で美しく見る者の心をひきつけます。
三千院の見どころは何と言っても庭園です。一つは、客殿の庭園、聚碧園(しゅうへきへん)です。聚碧園は池泉鑑賞式庭園となっており、東部は山畔を利用した上下二段とし、南部は円形戸ひょうたん形の池泉を結んだ池庭を形成しています。
もう一つは、有清園です。有清園は宸殿より往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園で、見事な青苔に杉や桧などの立木が並び、山畔を利用して上部に三段式となった滝を配し、渓谷式に水を流して池泉に注ぐようになっているのです。
有清園ですが、春には山桜と石楠花が庭園を淡く染め、夏には新緑、秋は庭園を紅に染める紅葉、そして雪景色と四季を通して楽しませてくれます。
京都大原三千院は、歌にもあるように、俗世間から離れたような雰囲気が日頃のストレスを癒してくれますので、心を落ち着かしてくれるそんな場所です。
◎義経を育てた寺「鞍馬寺」
地下鉄烏丸線国際会館駅よりバスに乗り鞍馬で下車してすぐのところにあるのが鞍馬寺です。
鞍馬寺の参道は、杉や桧などの巨木が立ち並び、山深いことにを再認識させてくれますし、修験道等の山岳宗教の要素も含まれていることにも納得します。
「鞍馬蓋寺縁起」によると、奈良時代末期の宝亀元年(770年)に奈良の唐招提寺の鑑真和上の高弟である鑑禎上人は、正月4日寅の夜の夢告と白馬の導きで鞍馬山に登ったとき鬼女に襲われたところを毘沙門天二助けられ毘沙門天を祀る草庵を結び、その後伽藍をととのえ、毘沙門天を奉安、後に千手観音を造像して併せ祀りました。
鞍馬寺は平安王朝時代多く野貴族が訪れておりまた女流文学者も多く参詣しており、清少納言は随筆「枕草子」で鞍馬の参道の九十九折りを「近うて遠きもの、くらまのつづらをりといふ道」と表現しており、菅原孝標の女官は「更級日記」で「春ごろ、鞍馬にこもりたり。山際霞みわたりのどやかなるに」と述べています。さらに紫式部は「源氏物語・若紫巻」で光源氏の最愛の女性、紫上の少女時代である若紫との出合いの寺である「北山のなにがし寺」鞍馬寺としてリアルに描写しているのも特徴的です。
ところで、鞍馬寺といえば忘れてはいけない人物が源義経(幼名:牛若丸)は、7歳の頃に入山し、16歳の頃に奥州平泉に下ったと伝えられています。
牛若丸は、昼間は東光坊で仏道修行をし、夜は僧正が谷で天狗に兵法を学んだという伝説があり、本殿裏から奥の院への山道には牛若丸の遺跡があります。そんな鞍馬寺は、山全体に杉や桧の巨木が生い茂り、夏でも涼しくマイナスイオンに包まれます。
・・・まとめ・・・
花のように派手さはありませんが、古都・京都らしい佇まいで風情と情緒あふれる場所ばかりで、心を和ませてくれるところばかりですので、是非一度訪れてみて下さい。特にこれからの季節は最高のロケーションですよ。